シュニッツラー『花』ー花に宿る愛ー


 

花は次第に散って行く。私は決して花に手を触れない。もし手を触れたら、指の間で粉微塵に散りうせるだろう。

(シュニッツラー『花』岩波文庫 より引用)



 本文を読み終わるころ、この一文に立ち戻ってほしい。その時、この作品を手に取りたくなってくれたら嬉しいと思う。


 視点人物の「私」は、ある日恋人が病死したことを唐突に知る。彼女が病気だったことなど知らず、この事実すら死後一週間経った後、偶然出会った彼女の叔父から知らされたのであった。怒り、憎しみ、生への嫌悪、悲しみ、慈愛、様々な感情に襲われた彼は、月日が経って新たな恋人ができても、街中をいくら歩いても、死を受け入れることや彼女の存在を忘れることができないでいた。そんな中、亡くなった彼女から自分宛てに花が送られてくる。
 このように、本作は愛する者を失った苦悩を抱える彼の心情を描いた作品である。
 この苦悩をもっとも効果的に表しているのが、タイトルにもなっている「花」なのだ。
 恋人は生前、遠距離にいる「私」に手紙と月に一度花を贈ることを習慣にしていた。病身であること最後までを告げられなかった彼女は、死の事実と激しい苦悩、彼への許しを伝える手紙を亡くなってから数か月先に届くようにし、それまで花が届き続けるようにしていた。だが、花は手紙が届いた後にも送られてきたのだ。まるで、死を悲しむ彼を心配するように。
 彼は、彼女が病を隠していたことで死に目に会えなかった。さよならさえ言えずに終わった彼にとって、送られた花は彼女の存在を感じられる唯一のものであった。また、届いた花は彼女の優しさ、温もり、自分への愛情といった様々な思いを伝えに来ているかのように思えるのだった。
 しかし、花は枯れ始めてしまう。命あるものはいつか消えていく、その儚さが一層彼に花を愛おしいものにさせ、彼女を忘れられなくなっていく。花が凋んで、落ちて、茎になっても花瓶から捨てない。失われる運命に抗うように花を大事にする。
 このようにして、「私」は彼女の自分に対する思いを花に見出し、「私」の彼女に対する思いが花に込められていくのである。つまり、その花には愛が宿っているのである。
愛によって高められた花は、テクストというフィルターを通した私たちにも、手放すことができないほど愛おしいものとなり、日々枯れていく様に痛々しさ感じさせることだろう。そして、辛くそれでいて温かな思いを受け取ることになるだろう。
 愛する者を失った「私」の心情と、「花」に愛が宿りそして枯れていくその儚さを、作品を読んで感じてほしい。
 また、本作は愛と死がテーマになっている。恋人に限らず、家族や友人、恩師といった広い意味で愛する人の死とどのように向き合うかについて考えるきっかけにもなると思う。