死の恐怖-小川未明『金の輪』-



死の恐怖は、その暴力性と回避不可能性にある。


 病気がちだった幼い主人公は、ある時ようやく外に出られるようになった。すると、往来の方から知らない少年が金の輪を回して走りすぎていった。気になった彼はその謎の少年を気にするようになった。しかし、何度かその少年と出会った後、高熱を出して突然死んでしまう。
 知らない顔の少年という不確定要素と、金の輪が持つ輝きの美しさは現実離れしており、母親に話しても信じてくれないところから、子供にだけ見える不思議な存在、この世ならざる者という印象を抱かせる。そして、最後に突然述べられる死の事実から、金の輪を回す少年が死神だったのではないかと思わせられ、背筋が寒くなるような心地がする。
 しかし、最も恐ろしいのは金の輪の少年が謎に包まれているにもかかわらず、主人公に警戒心を抱かせないところである。
 すべてが謎に包まれている存在に心を開く危険性を知っている私たちは、警戒心を抱き、信頼できる相手かどうかを見極める。だが、謎の少年のように警戒心の網をすり抜け、危険を感じるべき相手であることに気が付かせず、命を奪いに来るとなると、目の前にいても危険だと気づけず、出会いを避けられない。
 つまり、現れた途端に死が確定するのである。

 それは、生きていたいという意思も、殺さないでほしいという願いも無に帰す暴力性と、回避不可能性を持っていると言える。
 本作における幼い主人公の死がもたらす恐ろしさは、その唐突さにもあるが回避不可能性にあると言えるだろう。現実の死も同じである。死が訪れた途端に私たちの存在は消えるのだから、死が来たことに気づくことができない。避けることもできない。
 このような文脈からすれば、死というものの恐ろしさを非常にうまく表現している作品と言えるだろう。